スピリチュアリストの江原啓之がパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組
「Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り」。今回の放送テーマは「私の周りの困った人」。リスナーの相談に江原が“ことば”を届けました。
江原啓之
◆母にとって、私の存在とは…
ずっとモヤモヤしていることがあります。私は、実母に100万円以上のお金を貸しています。貸したのは、私の子どもが幼稚園に上がるよりも前の話です。お金は、私が独身時代に貯めたものでした。「必ず返すから」と言われて、10万円単位で少しずつ貸し、最終的に100万円を越えたのです。実母ですし、返してくれるだろうと軽く考えてしまい、使い道も聞かずに貸しました。
しかし、20年近く経った今でも返金は総額で10万円ほどです。「私の旦那(実母からすると義理の息子)が大手術をするので、少しずつでも良いから早めに返して欲しい」とお願いしたら、4万円を3ヵ月間返してきて、それきり音沙汰なし。さすがに困り果てて「もう全額返して」とメールをしましたが、返信はありませんでした。
その後、父にすべてを話し、「母とは2度と会うつもりはない。孫に会うのは自由にして良いけれど、私から会いに行くことはしない」と伝えました。父は何も知りませんでした。私に対して謝ってくれて「もう定年して収入が少ないので、100万円を返してあげることは難しい……」と正直に話してくれました。
金の切れ目が縁の切れ目……そんな言葉を実の母に向かって使う日が来るとは思いもしませんでした。母にとって、私の存在とは一体何だったのでしょうか?
◆江原からの“ことば”
何を言っているんだか……と思ってしまいます。家族も他人も一緒です。人にお金を貸すときは、“あげた”と思うこと。「親子なのに……」と思うかもしれませんが、親子なら余計にそうです。自分が“小我”(=自分だけを愛する心)だからお金を貸したんです。“大我”(=相手を愛する心)だったら、「これはあげるから」と言って、「返して」とは言わない。そういうお金じゃないならば、最初から渡さないことです。
それで、お父さんが「返すのは難しい」と平謝りをしている。金の切れ目が縁の切れ目にしているのは、あなたのほうです。相手のせいにするのは簡単です。
私がよく使うフジコ・ヘミングさんの話があります。
「みんなが『泥棒だ』と言って、付き合わない人がいるけど、私は付き合う。なぜならば私は、その人のことを泥棒にさせないから」
この番組「おと語り」で以前、「子どもが、私の財布からお金を抜いている」という話を紹介しました。でもそれは、お財布を放置する親が悪いんです。それなのに、親が勝手に子どもを泥棒扱いしているんですよね。
自分主体で考えると、“自分は良い人” “誰かが悪い人”という考えになります。そう考えると、きっとあなたもメールを書きながら“自分は良い人”だと思っていると思う。私にしてみたら、お母さんが良いとは言いませんが、お母さんと同じくらい、あなたも悪いと思うんです。
◆江原啓之 今宵の格言
「困った人の多くは、寂しがりやなのです」
「不平不満を言うよりも、自分が対応を変えたほうが楽です」
<番組概要>
番組名:Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り
放送日時:TOKYO FM/FM 大阪 毎週日曜 22:00~22:25、エフエム山陰 毎週土曜 12:30~12:55
出演者:江原啓之
番組Webサイト:http://www.tfm.co.jp/oto/