放送作家・脚本家の小山薫堂とフリーアナウンサーの宇賀なつみがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「日本郵便 SUNDAY’S POST」(毎週日曜15:00~15:50)。6月16日(日)の放送は、弾き語りピアニストのホキ徳田さんとマネージャーの小宮博さんをゲストに迎えて、お届けしました。
(左から)小宮博さん、ホキ徳田さん、パーソナリティの宇賀なつみ、小山薫堂
◆文豪ヘンリー・ミラーの8人目の妻
1933(昭和8)年生まれ、御年90歳にして今なお現役ミュージシャンのホキ徳田さん。ピアノを始めたのは3歳のときで、カナダ留学した後に帰国し、日本のテレビなどで活躍しました。
しかし、“音楽をやりたい”という思いから1965年のときに単身で渡米。インペリアル・ガーデンでピアノ演奏をしていたときに、文豪のヘンリー・ミラーさんが来店したのがきっかけで、2人は結婚。生涯で8回の結婚をしたヘンリーさんにとって、ホキさんは8人目の妻ということで、当時日本でも話題になりました。
ヘンリーさんと初めてお店で出会ったとき、ヘンリーさんが有名な文豪であることをまったく知らなかったというホキさん。「(リクエストで)彼から『フランスの歌を弾いてくれ』と言われて、私はたまたまシャンソンの伴奏もやったりしていたので、彼のリクエスト曲はすべて弾けたんですよ」と振り返ります。
するとヘンリーさんは、それ以降、「すごい人を連れてくるようになって、常連になってくれて。そのうえ手紙もくれるようになったんですよ。ヘンリー・ミラーが書いた手紙が届いたときに、うちの父は英語もわかるような人だったので、『すごく変なじいさまが手紙をくれた』って言ったら、『お前、この人は大変な人だぞ』と。『大変って何?』って聞いたら『有名な「北回帰線」とかを書いた人に違いないから。俺が行くまで待ってろ』と言われたので、“へぇ~、そんな人なんだ”と思って」と出会った当時を回顧。
そのときホキさんは20代後半で、ヘンリーさんの年齢はというと、小宮マネージャーいわく「70歳弱くらい」だったそうです。
ホキさんは、「とにかくすごいおじいちゃんが来て、いつも『あれ弾け、これ弾け』って。私は小さい頃からアメリカの歌とかフランスのシャンソンが好きだったから何でも弾けるんです。歌えると(ギャラが)倍もらえるので、そんなにもらえるなら歌おうということで歌い出したんですけど(笑)。ヘンリーの言う通りに歌っていたら弾き語りになったんですよ。だからある意味、ヘンリー・ミラーさまさまなんじゃない?」と笑顔をのぞかせます。
2人の出会いを聞いた小山からは、「そのときにもらった手紙はラブレターみたいなものですか?」との質問が。小宮マネージャーいわく、当時ヘンリーさんには“アナイス・ニン”という昔の恋人(フランスの作家)がいて「そのアナイス・ニンが東洋人を連れていたので『自分も東洋人と付き合おう』と言って、(元恋人への)当てつけで口説こうとした、というのがホキさんの言い分なんです。天国のヘンリーに聞いてみないと分からないですけど」と代弁。
ヘンリーさんの8人目の妻として結婚生活を送っていた頃の交流はというと、「すごかったですね。ピカソの息子とか。ビートルズってご存知?」とケロリと言ってのけるホキさん。
「ビートルズの全員がヘンリーのファンだったんですよ。それでリンゴ・スターが楽器を集めていたんです。『ここに置かせてよ』といろいろな楽器を持ってきて、売ったものは全部私にお金をくれたりして。ビートルズのおかげで私、お家が建つくらいのお金をもらっているんですよ(笑)」と桁外れのエピソードが飛び出します。
さらには、ホキさんの妹が歌手フランク・シナトラの家事手伝いのアルバイトをしていたことがあり、それがきっかけで彼の伴走を担当したこともあるという仰天エピソードも。
そして今回、スタジオではホキさんによる弾き語りの披露も。即興でキーボードを奏でながら、ジャズのスタンダード・ナンバー「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」をしっとりと歌い上げると、小山と宇賀からは「すごい!」と歓喜の声とともに拍手が。小山は、「(急なリクエストで)譜面もなく、『私、歌えるかしら?』っておっしゃっていたのに……ビックリしました」と驚きます。
さらに、小山からのリクエストでフランク・シナトラの代表曲のひとつ「マイ・ウェイ」を演奏してスタジオ内を魅了するホキさん。ちなみに、今回のゲスト出演は、当番組のディレクターと居酒屋で会ったのがきっかけで快諾してくれたそうで、90歳とは思えないフットワークの軽さに小山も宇賀も目を丸くしていました。
スタジオで弾き語りを披露するホキ徳田さん
<番組概要>
番組名:日本郵便 SUNDAY’S POST
放送日時:毎週日曜 15:00~15:50
パーソナリティ:小山薫堂、宇賀なつみ