女優・本仮屋ユイカがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「三菱地所レジデンスSparkle Life」(毎週土曜18:30~18:55)。9月20日(土)、27日(土)の放送ゲストは、歌手・夏川りみさん。いつものスタジオを飛び出して、東京・半蔵門にあるTOKYO FM内のラウンジ「JET STREAM(ジェット・ストリーム)」にて公開収録を実施しました。この記事では、夏川さんが2001年にリリースした楽曲「涙そうそう」(作詞:森山良子/作曲:BEGIN)への思いについて語った20日の模様をお届けします。
夏川りみさん、本仮屋ユイカ
◆運命を変えた「涙そうそう」
本仮屋:夏川さんといえば、(2001年にリリースした)「涙そうそう」(森山良子さん作詞、BEGIN作曲)がみなさんの記憶には強く残っていると思います。この曲との出会いを、あらためて教えていただけますか?
夏川:沖縄サミット(第26回主要国首脳会議)が開催された2000年の年に、たまたま家でテレビをつけたら、そこに同じ石垣島出身のBEGINのニーニーたちがいて。
本仮屋:当時、面識はあったのですか?
夏川:はい。私の姉とBEGINが同級生で。小さい頃から可愛がってもらっていたので、テレビで頑張っている姿を観ると、「私も頑張らないと!」という気持ちになりながら聴いていた歌の1曲が「涙そうそう」でした。
本仮屋:テレビ越しに、いつも仲の良い、憧れのニーニーたちが歌っているのを見て、この曲だと。
夏川:(そのときに)初めて聴いたんですけど、ずっと頭から離れなくて、「なんだろう……」「あの歌、何だったんだろう……」って思っているうちに、「歌いたいな」「あんな曲を歌いたい」という気持ちが自分のなかで芽生えていて。その後に、東京でBEGINがライブをやると聞いて、会場に聴きに行って、そこで「涙そうそう」をちゃんと観て、聴いて「やっぱりいい歌だな」「歌いたい!」と思って。BEGINのニーニーたちのところに挨拶しに行って、「久しぶり! 元気か?」「元気だよ」などの会話をして、「(ライブは)どうだった?」と聞かれたときに、「とても良かった! あの歌ちょうだい」って言いました。
そうしたら、「あの歌は女の人が歌ってもいいかもな」という話があって。そのうちに「りみのために作詞作曲で曲作るから」と言われて、1曲いただいたのですが……。
本仮屋:でも、「涙そうそう」とは違う曲ですよね?
夏川:そうなんです。違う曲をいただいたのですが、どうしても「涙そうそう」の思いが強くて、やっぱり「涙そうそう」も歌いたいということでレコーディングを2曲して。でも私は、とっても楽しそうに「晴れ渡る~」って、沖縄の空を(イメージしながら)爽やかに歌ったんです。
そうしたら、ニーニーたちから「りみ、お前、この曲はどんなふうにできたか知っているか?」と聞かれて。「何も聞いてない」と答えると、「これは森山良子さんと俺らが、『いつか仕事をしようね』って話になったときに、まずメロディーが先に生まれて、それにタイトルだけ『涙そうそう』と入れて、森山さんに届けたら、『これはどういう意味なの?』と聞かれて。『沖縄で、涙が止めどもなくあふれることを、涙そうそうと言います』って話したら、良子さんが大好きな、お兄さんを亡くされていて、その兄への思いを詞にしたのがこれの歌詞になっているんだよ」と聞かされたときに、「これはもしかしたら私が歌ってはいけない歌なのかな……」という気持ちになって。
本仮屋:そのお話をレコーディング中に聞いたのですね。
夏川: はい。でも、それよりも「どうしても歌いたい!」という思いのほうが強くて、「何度か歌詞を読むから、ちょっと時間ちょうだい」と言って。(あらためて歌詞を読み込んだ)そのときに、私も初めて「涙そうそう」の意味を知ったんです。
「じゃあ、もう1回歌うね」と言って歌い直したら、BEGINのニーニーたちが「今の歌い方だったらみんなに届くよ」と初めて許してくださって。その、できたてほやほやのCDを森山良子さんに届けたら、そのとき、初めてお会いした良子さんが「いっぱい、いっぱい歌ってね」と言ってくださいました。
本仮屋:そこで、「たくさんの人に届けるぞ!」という強い思いになりましたね。
夏川:文字通り、いっぱい、いっぱい歌う曲になりましたね。自分のなかから「こんな歌が歌いたい!」と思ったのは、本当に「涙そうそう」を聞いたときに感じました。これが初めてでしたね。
番組では他にも、父親から受けた歌の基礎、お子さんと旦那さんとの日常などについて語る場面もありました。
<番組概要>
番組名:三菱地所レジデンス Sparkle Life
放送日時:毎週土曜 18:30~18:55
パーソナリティ:本仮屋ユイカ