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日航機墜落事故 “生存者発見スクープ” 露木茂×長野智子 緊迫した緊急報道特番を振り返る
2023-08-12 (土) 10:30
TOKYO FMの音声配信プラットフォームAuDee(オーディー)の番組「長野智子のテレビなラジオ」(隔週火曜・10時配信)。1985年のフジテレビ入社以降、テレビ業界で活躍してきたフリーアナウンサー・長野智子が、テレビを牽引してきた制作者・出演者をゲストに招き、テレビの過去・現在・未来を語ります。
8月8日(火)の配信では、前回に引き続き元フジテレビアナウンサーの露木茂さんがゲストに登場。数々の歴史的大事件・大事故を報道で伝えてきた露木さんが、とくに印象的だった「日航機墜落事故」の報道を振り返りました。
TOKYO FMの音声配信プラットフォームAuDee(オーディー)の番組「長野智子のテレビなラジオ」(隔週火曜・10時配信)。1985年のフジテレビ入社以降、テレビ業界で活躍してきたフリーアナウンサー・長野智子が、テレビを牽引してきた制作者・出演者をゲストに招き、テレビの過去・現在・未来を語ります。
8月8日(火)の配信では、前回に引き続き元フジテレビアナウンサーの露木茂さんがゲストに登場。数々の歴史的大事件・大事故を報道で伝えてきた露木さんが、とくに印象的だった「日航機墜落事故」の報道を振り返りました。
▶▶【音声を聴く】「長野智子のテレビなラジオ」
1940年、東京都生まれの露木さん。1963年にフジテレビにアナウンサーとして入社。「小川宏ショー」(フジテレビ系)の司会をスタートに、フジテレビを代表する多くの番組を担当。よど号ハイジャック事件(1970年)、連合赤軍によるあさま山荘事件(1972年)、日本航空123便墜落事故(1985年)など、歴史的大事件を伝えました。2002年に役員定年を迎え、フリーアナウンサーとして現在も活躍中です。前回の放送では、アナウンサーの昔と今、アナウンサー採用で重視したポイントについて語りました。
◆現場の映像を頼りに報道した日航機墜落事故
長野:アナウンサー人生を振り返られて、これだけは忘れられない出来事って何が思い浮かびますか?
露木:やっぱり、御巣鷹山の日航機墜落事故の特番。生存者が見つかったという特ダネをいち早く放送できたとき、おそらくテレビを観ている人たちも、このニュースを待ち望んでいたんだろうなという気持ちが伝わってきたような気がするんですよね。
視聴者とニュースを伝えている私との一体感というのかな、そういうものがフッと感じられた瞬間です。そういうことってあまりないですよね。
長野:露木さんって、よど号ハイジャック事件もそうですし、あさま山荘事件もそうですけれど、現場の最前線でレポートされていますよね。そういうニュースかと思ったら、日航機墜落事故なんですね。私、露木さんのお姿をすぐそばで拝見していました。
露木:事故があった1985年は、ちょうど長野君が入った年でした。4月に入って養成が終わって、そろそろアナウンサーとしてスタートするタイミングの8月12日の出来事でした。
長野:当時、私は同期の小田多恵子さんという方とご飯を食べようと思っていて、報道センターにちょうどいたんですよね。そうしたら事故が起きたので、露木さんのお手伝いみたいなことを夜通し泊まりでさせていただきました。
露木:うん。「そのまま(報道センターに)残っていて」と言ったのを僕は覚えています(笑)。
長野:事故翌日の午前11時20分過ぎからの露木さんの姿は今でも覚えています。そのときのことをいろんなところでお話しするぐらい、「私が報道をやりたい!」と思うようになったきっかけなんですよね。露木さんにとっても懐かしい思い出ということで、なんか感動してしまいました。
露木さんは、夜通し日航機墜落の特番を担当されていて、朝の11時30分からまた報道特番をされるというとき、ちょうど10分前ぐらいに報道センターのモニターに、御巣鷹山の尾根で取材をしている取材クルーのカメラの映像が入ってきたんですよね。
露木:そうそう。やっとつながったんだよね。
長野:カメラのフィードが流れてきて、生きている人が映っているということで、報道センターは蜂の巣をつついたみたいな状況でした。
露木:新人の山口記者は同期だもんね。
長野:まだ(報道の経験値が)浅いので現場で何が起きているのか、というレポートが入ってきていないんですよね。誰もわからないまま、カメラマンが撮っている、生きている方が映っている映像をただ観ていて、みんなが大パニックになっていました。
私はちょうど報道センターの露木さんがお座りになるところ、カメラの横にいたんです。もう表情1つ動かさない、超冷静な露木さんがそこにはいらっしゃいました。
露木:そんなことは決してないよ(笑)。
長野:周りがあまりにもすごかったから、そう思ったのかもしれないですけど、めっちゃ冷静に「ああ」とかいろいろ整理されたかと思ったら、目の前に用意されていた11時30分からの原稿を、隣にあったゴミ箱に全部捨てていたんですよ。
11時30分からは一切原稿なしで、露木さんが「生存者が発見されました」と一言おっしゃったんです。そのとき、現場の詳細なんて何も入ってきていないんですよ。
露木:そうでしたね。
長野:私は「どうするんだろう!?」とカメラの横でドキドキしながら拝見していました。あのときってどんな感じだったんですか?
露木:予定の原稿が手元にあったんだけど、書かれているのは「生存者がなく、全員絶望と見られています」みたいなものばかりだったんだよね。だけど、現実はそうじゃなくて、助かっている人の映像があるわけだから、古い原稿はもはや用がないわけです。これは捨てるしかないなと思ったんですよね。
「今、実際に動いている情報、入ってきている情報を追っかけなきゃダメだ」と自分に言い聞かせて、限られた映像の範囲でわかることを伝えました。とにかく山の奥なので、山口記者との音声の状態がものすごく悪くて、声が聴こえたり聴こえなかったり、苛立たしい瞬間もずっとあったんですけど、これはこちらで引き取ってやるしかないなと思って。僕は映像を観ながら30分喋りましたけど、何を喋ったかは全然覚えていないんですよね(笑)。
◆「笑っていいとも!」の枠で報道を継続
露木:僕が11時30分にやっていたニュースが終わるとタモリさんの番組なんですよ。
長野:「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジテレビ系)ですね。
露木:その日も当然、タモリさんはスタジオアルタでスタンバイしているわけですけども、どうなるか見通しがまったく立たないんですね。民間放送だから、番組ごとにスポンサーがついているわけで、11時30分からのニュースのスポンサーと「笑っていいとも!」のスポンサーは違うわけです。
長野:そうですよね。
露木:一度区切りをつけてニュースを終わらせて、スタジオアルタのタモリさんにバトンタッチをしなければいけない。今でも覚えているんだけど、タモリさんが真剣な顔をして「ニュースを続けてお伝えします」と言って、僕のところに(画面が)戻ってきたんです。そこから「笑っていいとも!」の時間枠もニュースで埋めたんですね。
長野:あれは編成と報道で話し合いがあったわけですよね?
露木:もちろん。今は笑っているような場合ではないけど、スポンサーのこともあるし、番組としての枠もあるわけだから、枠はきちんとやりましょうと。やるけれども、番組の中身は違ったわけです。おそらく私が放送しているあいだに、編成と報道とできっと話がついたんでしょうね。
◆あさま山荘事件の決定的瞬間を捉えた“白黒テレビ用カメラ”
長野:あさま山荘事件のときは、まさに軽井沢の現場にいらっしゃいましたよね。
露木:そうなんです。人数がわからないなか、人質をとって立てこもっている犯人たちを、午前10時から警察の機動隊が逮捕しようということで。現場の雰囲気としては2、3時間ぐらいで解決するだろうなんて思っていたんですけど、12時になっても13時になっても終わらない。
長野:そうでした。しかも、雪がすごく降っていましたよね。
露木:零下13度ぐらいでしたね。番組を今後どうするかは、東京の報道と編成とが話し合って決めるわけです。そこで枠だけを残して、「内容は全部軽井沢の中継をやりましょう」と決定が出ると、それがインターカムを通じて僕のほうに伝わってくるわけですね。「13時からの番組も、引き続き中継でやることになりましたのでよろしく」みたいな伝言がくるわけですよ。
決着がつくまで、この放送が続くんだなということは覚悟をしていたんですけど、それがまさか延々と続くとは思わなかった。朝10時から始まって、結局は18時過ぎまで中継を続けていたわけなんです。
あさま山荘を挟んで、高いところからあさま山荘の玄関が見える正面付近を私が担当して、低いところからあさま山荘を見上げる位置に長谷川さんという先輩アナウンサーがいらっしゃいました。ふたりで交互にやりとりをして、現場の状況を伝えていくのを延々とやるわけです。
だけど、そもそも喋るネタなんてほとんどないんですよね。それでもなんとかふたりで回して、最後の勝負というときに日が暮れて辺りが真っ暗になっちゃって。当時、カラーテレビ用のカメラの性能がよくなくて、暗くなるとほとんど映らないんですよね。
他局はカラーテレビのカメラを現場で使っていたのですが、フジテレビだけたまたま1台、白黒のカメラを念のために持ってきていたんですね。真っ暗になったところをその白黒カメラで映してみると、しっかりと映像が映るわけですよ。
長野:すごい!
露木:白黒のハンディカメラが1台あったことで、犯人の映像を捉えることができるという勝負の分かれ目があったわけです。暗いなかでライトに照らされて、機動隊に囲まれた犯人が1人ずつあさま山荘から連れ出されていく。あの映像はやっぱりゾクっとしましたね。
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<番組情報>
番組名:長野智子のテレビなラジオ
配信日時:隔週火曜・10時配信
パーソナリティ:長野智子
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8月8日(火)の配信では、前回に引き続き元フジテレビアナウンサーの露木茂さんがゲストに登場。数々の歴史的大事件・大事故を報道で伝えてきた露木さんが、とくに印象的だった「日航機墜落事故」の報道を振り返りました。
▶▶【音声を聴く】「長野智子のテレビなラジオ」
1940年、東京都生まれの露木さん。1963年にフジテレビにアナウンサーとして入社。「小川宏ショー」(フジテレビ系)の司会をスタートに、フジテレビを代表する多くの番組を担当。よど号ハイジャック事件(1970年)、連合赤軍によるあさま山荘事件(1972年)、日本航空123便墜落事故(1985年)など、歴史的大事件を伝えました。2002年に役員定年を迎え、フリーアナウンサーとして現在も活躍中です。前回の放送では、アナウンサーの昔と今、アナウンサー採用で重視したポイントについて語りました。
◆現場の映像を頼りに報道した日航機墜落事故
長野:アナウンサー人生を振り返られて、これだけは忘れられない出来事って何が思い浮かびますか?
露木:やっぱり、御巣鷹山の日航機墜落事故の特番。生存者が見つかったという特ダネをいち早く放送できたとき、おそらくテレビを観ている人たちも、このニュースを待ち望んでいたんだろうなという気持ちが伝わってきたような気がするんですよね。
視聴者とニュースを伝えている私との一体感というのかな、そういうものがフッと感じられた瞬間です。そういうことってあまりないですよね。
長野:露木さんって、よど号ハイジャック事件もそうですし、あさま山荘事件もそうですけれど、現場の最前線でレポートされていますよね。そういうニュースかと思ったら、日航機墜落事故なんですね。私、露木さんのお姿をすぐそばで拝見していました。
露木:事故があった1985年は、ちょうど長野君が入った年でした。4月に入って養成が終わって、そろそろアナウンサーとしてスタートするタイミングの8月12日の出来事でした。
長野:当時、私は同期の小田多恵子さんという方とご飯を食べようと思っていて、報道センターにちょうどいたんですよね。そうしたら事故が起きたので、露木さんのお手伝いみたいなことを夜通し泊まりでさせていただきました。
露木:うん。「そのまま(報道センターに)残っていて」と言ったのを僕は覚えています(笑)。
長野:事故翌日の午前11時20分過ぎからの露木さんの姿は今でも覚えています。そのときのことをいろんなところでお話しするぐらい、「私が報道をやりたい!」と思うようになったきっかけなんですよね。露木さんにとっても懐かしい思い出ということで、なんか感動してしまいました。
露木さんは、夜通し日航機墜落の特番を担当されていて、朝の11時30分からまた報道特番をされるというとき、ちょうど10分前ぐらいに報道センターのモニターに、御巣鷹山の尾根で取材をしている取材クルーのカメラの映像が入ってきたんですよね。
露木:そうそう。やっとつながったんだよね。
長野:カメラのフィードが流れてきて、生きている人が映っているということで、報道センターは蜂の巣をつついたみたいな状況でした。
露木:新人の山口記者は同期だもんね。
長野:まだ(報道の経験値が)浅いので現場で何が起きているのか、というレポートが入ってきていないんですよね。誰もわからないまま、カメラマンが撮っている、生きている方が映っている映像をただ観ていて、みんなが大パニックになっていました。
私はちょうど報道センターの露木さんがお座りになるところ、カメラの横にいたんです。もう表情1つ動かさない、超冷静な露木さんがそこにはいらっしゃいました。
露木:そんなことは決してないよ(笑)。
長野:周りがあまりにもすごかったから、そう思ったのかもしれないですけど、めっちゃ冷静に「ああ」とかいろいろ整理されたかと思ったら、目の前に用意されていた11時30分からの原稿を、隣にあったゴミ箱に全部捨てていたんですよ。
11時30分からは一切原稿なしで、露木さんが「生存者が発見されました」と一言おっしゃったんです。そのとき、現場の詳細なんて何も入ってきていないんですよ。
露木:そうでしたね。
長野:私は「どうするんだろう!?」とカメラの横でドキドキしながら拝見していました。あのときってどんな感じだったんですか?
露木:予定の原稿が手元にあったんだけど、書かれているのは「生存者がなく、全員絶望と見られています」みたいなものばかりだったんだよね。だけど、現実はそうじゃなくて、助かっている人の映像があるわけだから、古い原稿はもはや用がないわけです。これは捨てるしかないなと思ったんですよね。
「今、実際に動いている情報、入ってきている情報を追っかけなきゃダメだ」と自分に言い聞かせて、限られた映像の範囲でわかることを伝えました。とにかく山の奥なので、山口記者との音声の状態がものすごく悪くて、声が聴こえたり聴こえなかったり、苛立たしい瞬間もずっとあったんですけど、これはこちらで引き取ってやるしかないなと思って。僕は映像を観ながら30分喋りましたけど、何を喋ったかは全然覚えていないんですよね(笑)。
◆「笑っていいとも!」の枠で報道を継続
露木:僕が11時30分にやっていたニュースが終わるとタモリさんの番組なんですよ。
長野:「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジテレビ系)ですね。
露木:その日も当然、タモリさんはスタジオアルタでスタンバイしているわけですけども、どうなるか見通しがまったく立たないんですね。民間放送だから、番組ごとにスポンサーがついているわけで、11時30分からのニュースのスポンサーと「笑っていいとも!」のスポンサーは違うわけです。
長野:そうですよね。
露木:一度区切りをつけてニュースを終わらせて、スタジオアルタのタモリさんにバトンタッチをしなければいけない。今でも覚えているんだけど、タモリさんが真剣な顔をして「ニュースを続けてお伝えします」と言って、僕のところに(画面が)戻ってきたんです。そこから「笑っていいとも!」の時間枠もニュースで埋めたんですね。
長野:あれは編成と報道で話し合いがあったわけですよね?
露木:もちろん。今は笑っているような場合ではないけど、スポンサーのこともあるし、番組としての枠もあるわけだから、枠はきちんとやりましょうと。やるけれども、番組の中身は違ったわけです。おそらく私が放送しているあいだに、編成と報道とできっと話がついたんでしょうね。
◆あさま山荘事件の決定的瞬間を捉えた“白黒テレビ用カメラ”
長野:あさま山荘事件のときは、まさに軽井沢の現場にいらっしゃいましたよね。
露木:そうなんです。人数がわからないなか、人質をとって立てこもっている犯人たちを、午前10時から警察の機動隊が逮捕しようということで。現場の雰囲気としては2、3時間ぐらいで解決するだろうなんて思っていたんですけど、12時になっても13時になっても終わらない。
長野:そうでした。しかも、雪がすごく降っていましたよね。
露木:零下13度ぐらいでしたね。番組を今後どうするかは、東京の報道と編成とが話し合って決めるわけです。そこで枠だけを残して、「内容は全部軽井沢の中継をやりましょう」と決定が出ると、それがインターカムを通じて僕のほうに伝わってくるわけですね。「13時からの番組も、引き続き中継でやることになりましたのでよろしく」みたいな伝言がくるわけですよ。
決着がつくまで、この放送が続くんだなということは覚悟をしていたんですけど、それがまさか延々と続くとは思わなかった。朝10時から始まって、結局は18時過ぎまで中継を続けていたわけなんです。
あさま山荘を挟んで、高いところからあさま山荘の玄関が見える正面付近を私が担当して、低いところからあさま山荘を見上げる位置に長谷川さんという先輩アナウンサーがいらっしゃいました。ふたりで交互にやりとりをして、現場の状況を伝えていくのを延々とやるわけです。
だけど、そもそも喋るネタなんてほとんどないんですよね。それでもなんとかふたりで回して、最後の勝負というときに日が暮れて辺りが真っ暗になっちゃって。当時、カラーテレビ用のカメラの性能がよくなくて、暗くなるとほとんど映らないんですよね。
他局はカラーテレビのカメラを現場で使っていたのですが、フジテレビだけたまたま1台、白黒のカメラを念のために持ってきていたんですね。真っ暗になったところをその白黒カメラで映してみると、しっかりと映像が映るわけですよ。
長野:すごい!
露木:白黒のハンディカメラが1台あったことで、犯人の映像を捉えることができるという勝負の分かれ目があったわけです。暗いなかでライトに照らされて、機動隊に囲まれた犯人が1人ずつあさま山荘から連れ出されていく。あの映像はやっぱりゾクっとしましたね。
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<番組情報>
番組名:長野智子のテレビなラジオ
配信日時:隔週火曜・10時配信
パーソナリティ:長野智子
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