TOKYO FMの音声配信プラットフォームAuDee(オーディー)の番組「長野智子のテレビなラジオ」(隔週火曜・10時配信)。フジテレビに入社した1985年以降、テレビ業界で活躍してきたフリーアナウンサー・長野智子が、テレビを牽引してきた制作者・出演者をゲストに招き、テレビの過去・現在・未来を語ります。
6月24日(火)、7月8日(火)の配信では、フリーアナウンサーの永井美奈子さんがゲストに登場。ここでは24日の模様をお届け。 “局の顔”になるまで苦労の連続だった道のりや、先輩アナウンサーからの忘れられない言葉の思い出を語ってくれました。
(左から)パーソナリティの長野智子、永井美奈子さん
◆“局の顔”になるまで苦労の連続
永井美奈子さんは1965年生まれ、東京都出身。大学卒業後、1988年に日本テレビにアナウンサーとして入社します。「ジパングあさ6」の初代キャスターをはじめ、「マジカル頭脳パワー!!」「24 時間テレビ」など日本テレビを代表する番組を担当したのち、1996年にフリーへ転身。現在はフリーアナウンサーのほか、成城大学文芸学部で非常勤講師を務めています。
長野:フジテレビの三人娘って入ったときからすごかったんですよ。だけど、永井美奈子さんは意外と、とんとん拍子に局の顔になったわけではないって話を聞いたことがある。
永井:そうですね。1年目は宣伝番組でしたし、2年目に入ってからは報道に抜擢されたんです。木村優子さんとダブルで。これがひどかった(笑)!
長野:ひどいって(笑)。
永井:「NNNニュースプラス1」(日本テレビ系)っていう徳光和夫さんのニュース番組だったんですけど、最初は関谷亜矢子ちゃんとスポーツコーナーをやっていたんです。そのあとニュースの読み手に抜擢されたんですけども、これがひどかった。
長野:出来が悪かったってこと?
永井:めちゃくちゃ下手でした(笑)。
長野:緊張する並びだもんねえ。
永井:曜日ごとに木村優子さんの日と私の日があって、雲泥の差なわけですよ。
長野:当時から木村優子さんってすごかったからなあ。でも、そのバランスを狙っていたんじゃない?
永井:いやいや、報道ですから誤魔化しがきかないんですよね。
長野:永井アナみたいな子が観たいっていう視聴者も報道に取り入れたいって思ったんじゃないかな?
永井:そういう意図もあったんでしょうけど、アナウンスメントとしてはひどかった! そのあとはレギュラーが1本しかなくて、それが「THE・サンデー」(日本テレビ系)です。
そのなかで日本各地の絶景を中継するコーナーを担当したんですけど、ほぼ東京にいない生活を送りましたから(笑)。
長野:そうだったの。
永井:もう、暇で暇で。アナウンス部にいて電話番をしていたんですけど、部屋には各局のモニターが並んでいて、それを毎日ずーっと見ていました。
長野:阿部知代さんも同じことを言っていましたね。当時、寺田理恵子さんが大活躍されていて、露木さんに「やっぱり女性アナウンサーって寺田理恵子さんみたいな方がふさわしいですよね?」と言ったらしいんです。
永井:へぇ~!
長野:そうしたら露木さんは「阿部知代、寺田理恵子は2人いらないんだ」と。
永井:カッコいい~! アナウンサーの先輩ってね、そういう名言が多いんですよ! そういう話で言うと、小池先輩(小池裕美子)がおっしゃってくれた言葉があるんですよ。仕事がなくて、ただモニターを見ているだけの私に「永井、助走が長い飛行機は長く飛べるよ」って言ってくれたんです。
長野:く~!
永井:「助走が長すぎますけど、長く飛べるように頑張ります!」と思いました。
長野:いいことをおっしゃいますねえ。
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音声版「長野智子のテレビなラジオ」
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<番組情報>
番組名:長野智子のテレビなラジオ
配信日時:隔週火曜・10時配信
パーソナリティ:長野智子