TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。2月15日(水)放送のお客様は、政治学者・三浦瑠麗さんと脳科学者・茂木健一郎さん。三浦さんの書籍にまつわる話や、“愛について”語り合いました。
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(左から)三浦瑠麗さん、茂木健一郎さん
◆愛には“痛み”が伴うもの
茂木:前から瑠麗さんに聞きたかったんですけど、瑠麗さんにとって愛とはどんなものですか?
三浦:愛は「痛いもの」ですね。
茂木:どういうこと?
三浦:幸せと同じで、愛していると思うとすごく心臓が痛くなるんですよね。グッと。それって、失うことに対する恐怖なんですよ。
茂木:ちょっと待って(笑)。じゃあ、デートをしているときは胸が痛いんですか?
三浦:ただ単にハッピーなときってありますよ。だけど、フワフワではない愛を感じるときは、たいていそれを失うことに対する恐怖というか。
茂木:失うっていうのはフラれるってこと?
三浦:うーん、ちゃんと男性と付き合ってフラれたことは1回しかない。
茂木:瑠麗さんが好きになるタイプの人ってどんな方ですか?
三浦:共通点は外見でも趣味でもなく、やっぱり「一生懸命大事にしてくれること」。要するに姿勢ですよね。(大事にされると)「True」な感じがする(笑)。
茂木:表面上だけ優しいってわけじゃなくてね。
三浦:ですね。表面上そんなに優しくない人とも付き合ってきたので。欧米流のエスコートができないとダメってわけじゃないです。
茂木:ドアを開けてくれなくてもいい。
三浦:でも、どんな方にも配慮がある人は素敵ですけどね。
茂木:花を買ってくれなくてもいい?
三浦:全然(いい)。
◆自分よりも家族を大切にしたい
茂木:嵐のなかにいるときって、人間は愛が大事かなと思うんだけど、瑠麗さんは人生で嵐のようなことが起こったとき、何を頼りに生きますか?
三浦:若い頃は家族を守ろうと思っていたんだと思う。自分が天変地異とか事件、あるいは自分の愚かな過ちのせいで、家族が大変な目に遭ったり心を痛めたりしたらどうしようって思う。昔、けっこう批判されたことがあったんですよね。今は政治学者であるにも関わらず、14歳の私(が受けた暴行被害)に対して「母親へちゃんと言わなかった」とか「警察に行かなかった」とかね。
茂木:「孤独の意味も、女であることの味わいも」(新潮社)で書かれたことについて批判されたの!? それって酷くないですか? 瑠麗さんは被害者なんだし。
三浦:書くのであれば人文的でなく社会的、ジャーナリスティックに当時の自分を切りながら書くべきだと(批判されて)。
茂木:どういうこと!?
三浦:いろんなことが起きたときに、それを常に正義で、社会的な分析で、自分の体験であっても客観的に批評する感じであるべきだと。でも私はそう考えていないので、女性としての生きづらさとかも、そのときのありのままを書くわけですよ。
茂木:体験に寄り添ってね。
三浦:それが「真実」だから。母親を悲しませたくないという当時の感情は間違っていたかもしれないけど、私にとっては決して孤独の表明ではなくて。自分が大切にできる、ファンタジーかもしれないけど、幸せを維持できている家族がそこにあったわけですよ。
茂木:そうだよね。14歳のときに大変なことがあったわけだけど、それって人生の嵐じゃないですか。そういうときも自分のことより家族のことを考えちゃうの?
三浦:そうですね。
茂木:自分のことはいつ考えるんですか?
三浦:えっ(笑)。私、自分のことをあまり考えないな。
茂木:そうなの!?
三浦:自分のことは好きだし大事にするし、寝心地のいいベッドでいいシーツにくるまれて、シャンパンを飲んで自分を甘やかすのは好きですよ。だけど、危機のときって家族がお互いを守り合うんですよね。
茂木:なるほど。
三浦:危機になってみないとわからないことではあるんだけど。私自身が私のことしか考えなかったら、たぶん成り立たないのが家族の在り方なんじゃないですか。
茂木:この会話って、大変なことがあったときは家族を大事にしようっていうメッセージになるのかな。
三浦:大事にするべきだけど、もちろんそれが得られない人もいると思うんですよ。それはそれで大変なことで、可哀想だとも思う。自分自身が可哀想だと思わないのは、やっぱり家族がいるからかな。
<番組概要>
番組名:TOKYO SPEAKEASY
放送日時:毎週月-木曜25:00~26:00
番組Webサイト:
https://www.tfm.co.jp/speakeasy/