TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、武藤敬司さんと神奈月さん。ここでは“全米屈指のヒール”としてその名を轟かせたグレート・ムタが誕生した経緯を振り返りました。
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(左から)武藤敬司さん、神奈月さん
◆グレート・ムタ誕生の経緯
神奈月:グレート・ムタは、海外に行ってから生まれたんですか?
武藤:そうですね。アメリカで働いているときに、「WCW」っていうCNNのボスが経営しているようなデカいテリトリーの団体にスカウトされたの。
神奈月:新日本プロレスから海外武者修行みたいな形じゃなく?
武藤:武者修行でテキサスの小さな団体で働いているときに認められて「WCW」からスカウトが来た。
神奈月:そのときは武藤敬司として戦っていたんですか?
武藤:そう。でも「(リングネームを)グレート・ムトウでいいや」っていう感じで行ったら(海外のリングアナウンサーが)「ムトウ」って言えないんですよ。
神奈月:発音が難しい?
武藤:うん。それで「(いろんな発音で呼ばれるから)どれか統一してくれ」っていうことでムタになったんですよ。
神奈月:そうなんですね。ペイントをするようになったのはいつからですか?
武藤:グレート・ムタになったとき。だけど、1人で活動しているから、最初は鏡を見て「忍者」って描いたり、「武藤」も描いたけど画数が多いからやめた(笑)。それから「忍」っていう字と「炎」っていう字が(顔全体に)まんべんなく広がるし、簡単に描けるなと思って。
ただ、鏡を見て“なかなか達筆に描けているな”とか思っていたんだけど、日本から送られてきた雑誌で初めて(グレート・ムタの姿を)見たときに、バックワード(鏡文字)になっているのに気がついたんだよ(笑)。
神奈月:だけど、ファンにとってはあれがまたすごい味なんですよ。「これ、なんていう字だろう? あっ『忍』だ!」みたいな。当時「逆になってるよ!」ってツッコむ奴なんかいなかったですよ。
武藤:まぁ、(海外だから)漢字が分からないからね(笑)。一時期“ペイントレスラー”が流行ったときもあったしね。
神奈月:グレート・ムタは“ザ・グレート・カブキの息子”なんでしたっけ?
武藤:そうっすね。ただ日本人だから、会社側からすると、どちらかというとベビーフェイスよりもヒールになってほしかったみたいで。そのなかで「ちょっと童顔すぎるからペイントをしてくれ」っていう要請はありましたよ。
神奈月:デビュー当時の武藤さんは絶対的なベビーフェイスだったから、あの頃は“これから新日(新日本プロレス)の第一線を背負っていく人なんだ”とか思っていたら、海外に行って悪役になっているっていう……。
武藤:だけど、アメリカで這い上がるならヒールじゃないとなかなか……。当時はベビーフェイスだと本当に難しかったと思う。
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<番組概要>
番組名:TOKYO SPEAKEASY
放送日時:毎週月-木曜 25:00~26:00
番組Webサイト: https://www.tfm.co.jp/speakeasy/