スピリチュアリストの江原啓之がパーソナリティをつとめ、番組パートナーの奥迫協子とお送りするTOKYO FMのラジオ番組「Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り」。
12月21日(日)の放送では、「戒名は必要か」という相談に対し、江原がスピリチュアルな視点から回答しました。
江原啓之
<リスナーからの質問>
戒名についてお伺いしたいことがあります。私は、自分の死後、あまりお金を使ってほしくありません。葬式は最低限でいい、お墓も建てず、永代供養がいいと思っています。その分、生きている人に美味しいものを食べたりして、お金を使って楽しんでほしいと思っています。
そこで、戒名は必要でしょうか。高額なお金を払って付けるべきなのでしょうか。江原さんのご意見をお聞かせください。(三重県 45歳 女性 パート・アルバイト)
<江原からの回答>
これはね、日本の場合、ちょっと考え方が違うかもしれませんが、元々は仏教における信仰を持っている方はなさったら良いと思いますよ。それをとやかく言う気はありません。信仰だから。
ただ、信仰ではなくて多くの人は「死んだらそうするものだ」と思っている方のほうが多いから。これはあくまでも仏教という信仰なので、その対象者はなさったら良いと思うのです。
そうでない限りは、あくまでもスピリチュアルな視点で申し上げると、死んで戒名はあまり関係ないです。高額な戒名などを付けるかたもいらっしゃいますが、それは付けたい方が自分自身の人生をそこで計りたいと思うのであれば、それで良いと思うのですよね。
ちなみに私はどちらでもいい。なぜかというと、うちはお墓自体がお寺さんに入っているから、「俗名で」と言えなかったりするのであれば、一番安い最低限の金額で良いと思っています。 もしくは、永代供養などに変えるのであれば、それでも良いと思っています。「移したいな」「自分自身も入りたいな」と思ったりもします。
特にそういったなかで、私は一番好きなのは樹木葬かな。 ただ、樹木葬も「これは違うのではないか?」と思うものがあって。樹木葬をわざわざお願いしても、プレートなどで“あなたのお家のお墓”というふうにやるところもあるらしいのです。自分の位置を確認したい、骨を埋めた場所を、という。それ、意味なくないですか? それでは、お墓がただ樹木になっただけです。樹木葬と言うのであれば、「この自然のなかに還しています」というだけで、「うちの父が木やお花の養分になっているかな?」ということで良いのではないでしょうか。
墓石が樹木に変わっただけで、もしその業者が廃業などしてしまったらどうするのでしょうか。いつもお花が植わっていなかったり。だから、土で良いじゃないですか。土に還るということで。
戒名というのは、お坊さんになるという、仏教に帰依するための名前です。ですから、仏教徒でないのであれば、いらないのではないですか。神道の場合はそのままの俗名ですから、そのあたりはご自身でお決めになったほうが良いなと思います。
ただ、やはり歳を重ねると、私もそうなのですが、お金のことは別の意味で考えますね。「貯め込もう」よりも「どうやって遣っていってもらおうか」という“生き金”です。今の相談者さんのように、みんなで美味しいものを食べてほしいというのももちろん良いのだけれど、プラス「役に立ててほしい」というね。
私も歳とともにそれをすごく感じます。家族に残すのももちろん最低限必要かもしれないけれど、それよりも「社会にどういうふうに活かせるか?」ということを、やはり一番考えますね。
パートナーの奥迫協子、パーソナリティの江原啓之
●江原啓之 今夜の格言
「あなたが残せる“愛”は何ですか?」
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<番組概要>
番組名:Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り
放送日時:TOKYO FM/FM 大阪 毎週日曜 22:00~22:25、エフエム山陰 毎週土曜 12:30~12:55
出演者:江原啓之、奥迫協子