山崎怜奈(れなち)がパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組
「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。(ダレハナ)」
(毎週月曜~木曜13:00~14:55)。今回の放送は、俳優の松平健(まつだいら・けん)さんが登場! 芸能生活50年を振り返っていただいたり、2004年にリリースされ大ヒットを記録した「マツケンサンバⅡ」などについて伺いました。
(左から)松平健さん、パーソナリティの山崎怜奈
◆20代は仕事一筋「寮と撮影場の往復」
れなち:芸能生活50周年おめでとうございます!
松平:ありがとうございます。
れなち:昨年に「松平健芸能生活50周年記念公演」を全国で開催され、今年5月には「明るく前向きに生きるためのマツケンガイドブック」(玄光社)を発売されました。健さんの50年の歩みやターニングポイントが綴られていて、私も拝見しましたが、すごい内容の濃さですね!
松平:自分では恥ずかしいんですけどね(笑)。
れなち:そうなのですか。でも、健さんの活動は「マツケンサンバⅡ」しかり、ものすごくゴージャスというか華やかというか。どんな活動に対しても、あまり恥ずかしさはないのかなと思っていました。
松平:そんなことはないです(笑)。
れなち:やっぱり照れはありますか?
松平:もちろんです。ただ“出てしまったらしょうがない”という感じで(笑)。
れなち:そもそも健さんは20歳のときに勝新太郎さんに出会い、付き人になって「座頭市物語 心中あいや節」でデビュー。そして、23歳のときにテレビシリーズ「暴れん坊将軍」で徳川吉宗を演じられて、それが25年も続いたと。
松平:そうですね。
れなち:20代の頃はどんなふうに仕事に取り組んでいましたか。
松平:当時は携帯とかもなかったでしょ? だから仕事一筋でしたね。とにかく寮と撮影所の往復でした。
れなち:この50年間のあいだも、勝新太郎さんから教わったことというのは活かされていますか?
松平:そうですね。半年間(付き人として)つかさせてもらって、そばで芝居や立ち回りをずっと見させていただいて……その当時は“見て覚える”っていう時代でしたから。
れなち:“見て覚える”といっても、ずっと密着しているわけにもいかないですものね。
松平:だから“盗み見る”感じでしたね。
れなち:へぇ!
◆「マツケンサンバ」の衣装の生地は自分で調達!?
れなち:時代劇スターとして活躍された一方で、30年以上前に「マツケンサンバⅠ」が誕生し、健さんが50歳のときに「マツケンサンバⅡ」が生まれたとのことですが、この「マツケンサンバ」シリーズを振り返ってみてどうですか?
松平:時代とともに曲がいろいろ変わっていきましたが、ほとんどが舞台のカーテンコール、いわゆるフィナーレのために作っていた曲だったんですよ。
れなち:「マツケンサンバⅠ」のほうは、ちょっとしっとりしているというか。
松平:軽やかですよね。
れなち:そして「マツケンサンバⅡ」で急にゴージャスになりましたよね。
松平:そうですね、やっぱり作曲の先生が変わると……「マツケンサンバⅠ」を長く使っていたので“もっと新しいものに”ということで。
れなち:しかも、衣装は今7代目で、生地もご自身でブロードウェイ(アメリカ・ニューヨーク)などに行って買い付けていると聞きました。
松平:そうですね(笑)。向こうに行ったときに買いだめして。だいたいはドレスの生地なんですよ。
れなち:衣装も最初の頃に比べてどんどん派手になっていますよね。
松平:「マツケンサンバⅠ」の頃は金糸で光るように見える衣装だったんですけど、「マツケンサンバⅡ」からは海外公演もあったので、海外でもウケるようにリオのカーニバルとかいろいろイメージして、スパンコールを(衣装に)付けたりしていましたね。
◆松平健の“仕事の流儀”
れなち:健さんのキャリアを振り返ってみて、何が一番大事だったと思いますか?
松平:なんでしょう、私はずっとマイペースでやってきましたから“お先にどうぞ”みたいな。
れなち:人と比べたり、焦ったりする時期はなかったですか?
松平:ないですね。とにかく来た仕事をしっかり着実にやっていけば、見てくれる人は見てくれているんでね。
れなち:コツコツ堅実にやっていくのが長く続ける秘訣なのですね。
松平:あと第一は、やっぱりファンの方を大事にして、その人たちのために頑張るって感じですね。
<番組概要>
番組名:山崎怜奈の誰かに話したかったこと。
放送日時:毎週月~木曜 13:00~14:55
パーソナリティ:山崎怜奈