ユージがパーソナリティを務める、2026年2月8日(日)放送のTOKYO FMサンデースペシャル「Hand in Hand-東日本大震災から15年・福島からのメッセージ」。毎週金曜日に放送している東日本大震災復興支援プログラム「Hand in Hand」の内容を拡大して、復興へ歩む福島の「今」を、リスナーのみなさんと共有するプログラムです。
東日本大震災から15年の節目に、福島県の現状や復興の歩み、そして未来へのメッセージを伝える特別番組として、いわき市の観光PRを発信する福島県いわき市出身の俳優・モデルの武田玲奈さん、大熊町に移住して農業の6次化複合施設「FUN EAT MAKERS in Okuma」で施設長を務める菅原正平さんへのインタビュー、昨年の12月に千葉・幕張で開催されたイベント「知って、学んで、行ってみよう!ふくしま」の模様などを振り返りました。
「知って、学んで、行ってみよう!ふくしま」
◆震災を知る少女が、福島の魅力を語る大人になるまで
震災から15年。福島県いわき市出身の俳優・モデルの武田玲奈さんは、13歳当時の震災の模様を振り返ります。2011年3月11日、卒業式を終えて自宅で趣味のギターを弾いていたところ、聞いたこともない着信音が鳴り響き、慌てて机の下に隠れたあの日、彼女の日常は一変しました。
「私の住んでいる地域が山のほうだったので、ずっと現実味がなかったんです。しばらく家にいたら原発事故のニュースが流れてきたので、親が“避難したほうがいいんじゃないか”みたいになって……」。津波の被害を目の当たりにすることはなく、埼玉の祖父母の家へ避難した後も、テレビのニュースで涙を流す親の姿を見て「自分は見ないようにしていた」「どこか、感情を動かされないようにしていた」という自己防衛の記憶を語ります。
その後、福島に戻った武田さんを待っていたのは、急増した「転校生」たちの存在でした。浜通りの北部から避難してきた同級生たち。修学旅行の班を一緒に組んでも「どこか踏み込みきれない距離感」や「センシティブな空気」を感じていたといいます。当時、引っ込み思案だったという武田さんは「今を一緒に楽しむ」ことに努めていたといいます。
◆福島出身という看板を背負って
高校2年生で上京し、芸能界の門を叩いた武田さん。そのキャリアが進むにつれ、切っても切り離せないものとなったのが「福島出身」ということでした。取材のたびに聞かれる震災や復興のこと。最初は避けられない話題として向き合っていたものが、いつしか自らの使命へと意識が変わっていきました。
「地元のお仕事をすると、福島にいる祖母が喜んでくれるんです」。そんなささやかな喜びを抱きながら、彼女はいま「いわきツーリズム推進特命部長」を務めており、いわき市の観光PRや福島の食の魅力を伝える活動にも注力しています。
「私ができることは、美味しいものを“美味しい、安全だ”と発信し続けることだけです」。この言葉には、故郷を背負う表現者としての覚悟が宿っているようでした。
武田玲奈さん
◆移住した若者が語る福島の新しい「価値」
震災から15年という月日が流れた今、福島県沿岸部「浜通り」は、かつての「被災地」から、新しい生き方を模索する「再生のフロンティア」へとその姿を転換しています。
かつて全町避難を余儀なくされた大熊町には「復興をともに進めていきたい」「この地だからこそできること」を求めてやってくる若い移住者たちの姿がありました。ここでは、大熊町の複合施設「FUN EAT MAKERS in Okuma」の施設長・菅原正平さんの歩みを、福島県いわき市出身でアイドルグループ「=LOVE」の諸橋沙夏さんとともにたどっていきました。
「FUN EAT MAKERS in Okuma」に足を踏み入れると、まずその開放感に驚かされます。大きな窓から注ぐ柔らかな日差し。そこは、ミニトマトやレタスを栽培し、調理・加工し、そしてレストランで提供する「6次産業」の拠点でもあります。
この施設の目玉は、サンゴが石灰化したものを用いた特殊な農法で育つ、サンゴが育てた「高糖度ミニトマト」。一般的なミニトマトの糖度が6〜7度であるのに対し、ここでは最低基準を9度に設定し、将来的にはイチゴに匹敵する13度を目指しています。
「大熊町で成功できれば、世界のどこへ行っても通用する」。そんな強い信念のもと、IT企業の新規事業としてスタートしたこの場所を支えているのが、秋田県出身の菅原正平さんです。
「FUN EAT MAKERS in Okuma」の「高糖度ミニトマト」
もともと東京で10年以上、料理の世界に身を置いていた菅原さんが大熊町へ移住したのは、去年の2月のこと。当初は東京の仕事をリモートで続けていましたが、現地で活動するうちに、ある「疑問」を抱くようになったといいます。「周りの若いベンチャーの方々は、この町の復興のために情熱を持って動いているのに、自分はこの地にいながら東京の仕事をしているのはどうなのか」ということでした。
その葛藤が、菅原さんを地域復興に直接関わる仕事へと突き動かしました。今、掲げる命題は、福島の「ブランド価値」をさらに高めること。例えば「福島産」というだけで敬遠される風潮がまだあるのであれば、それを逆手に取り「これだけ品質の高いものを作っている」とアピールする。直接仕入れたものを食べてもらうことが、そのまま復興への架け橋になる。その手応えが、今の菅原さんの原動力になっているといいます。
(左から)「FUN EAT MAKERS in Okuma」の菅原正平さん、「=LOVE」の諸橋沙夏さん
◆移住の決め手は「地方ルールがない」こと
地方移住を考える際、多くの人が不安に思うのは「生活の利便性」と「人間関係」です。菅原さんは「生活への不安の7割は解決できます。残りの2割は車があればなんとかなります」と言います。大熊町の最大の魅力は、一度全町避難を経験しているからこそ、「厄介な地方ルールやお作法がないのが一番いいと思っています」と菅原さん。このフラットな人間関係が意外な魅力となっているそうです。
また、菅原さんが移住を決めたもう一つの大きな理由に「教育」がありました。3歳のお子さんを持つ菅原さんは、大熊町の教育施設「学び舎 ゆめの森」に可能性を感じたといいます。
そこには、教室の壁も決まった時間割もありません。0歳から15歳までが同じ学舎で過ごす一貫教育で、例えば、3歳の幼児が小学6年生のお兄さん、お姉さんと日常的に一緒に遊び、交流し、年齢の垣根を超えて学び合うというもの。画一的な教育ではなく、多様な世代と関わる中で育つ環境は、大熊町ならではの大きな魅力のひとつかもしれません。
◆野菜の美味しさの秘密は環境の厳しさ
次に、昨年の12月に千葉・幕張で開催された復興庁主催イベント「知って、学んで、行ってみよう!ふくしま」でのトークショーの模様を振り返りました。
登壇したのは、いわき市で江戸時代から続く農家の8代目・白石長利さんと、夫が福島出身で震災以降の支援を続けるシンガーソングライターの熊木杏里さん。司会を務めるユージとともに語られたのは、合理性や効率だけでは測れない、福島という土地が持つ「人間味」あふれる豊かさでした。
いわき市で「ファーム白石」を営む白石長利さんの野菜は、東京の有名レストランやシェフからも指名が入るほどの人気食材です。その美味しさの秘密は、意外にも「環境の厳しさ」にありました。
いわき市の冬は、毎日太陽が照りつける一方で、非常に乾燥します。超乾燥地帯ゆえに雪もほとんど降りません。野菜にとっては水分を奪われる過酷な環境。しかし、白石さんは「野菜は生きようとして必死に根を伸ばし、凍らないように自ら糖分を出すんです」と、凍っては溶ける、その繰り返しが野菜を甘くするのだそうです。そして、その土地の気候に適した野菜を選び、自然の力を信じることが「農家のテクニック」ともいいきります。
白石さんの活動でユニークなのは、その発信方法。SNSでは、畑の様子だけでなく、自身の飲み会の様子といったプライベートまでもオープンにしています。
これに「どんな人が野菜を作っているのか、知ることができるのが嬉しい」と語る熊木さん。実際に白石さんの野菜にはファンが多く、注文はSNSのダイレクトメッセージから直接届きます。あえて利便性の高いオンラインショップを作らないのは、「震災を経験して、物とお金だけの関係性は一瞬で消えるということを学びました。だからこそ、食べてくれる人とのコミュニケーションを大事にしたい」との白石さんの「教訓」があるからです。
「ファーム白石」を営む白石長利さん
◆不完全で愛おしい「人のぬくもり」
シンガーソングライターの熊木杏里さんもまた、震災直後から福島に寄り添い続けてきました。震災の年に、使えなくなった畑にひまわりを復興のシンボルとして咲かせるプロジェクト「福島ひまわり里親プロジェクト」に参加し、そこで生まれた楽曲「太陽の種」は、多くの人々の希望となりました。
2011年当時、「どうやって歌を届けるべきか」悩み抜いたという熊木さん。あらゆる分野にAI技術が活用されている今、感じているのは「完璧ではないことの価値」です。
「今はAIが何でも答えてくれる時代ですが、例えばライブで歌詞を間違えたとしても、それが人間の良さなんじゃないかなと思うんです。目を見て通じ合うことは、AIにはできませんから」。その言葉を受けて、「便利になる一方でも、そこにはぬくもりも、表情から伝わるものはないんですよね」とユージも頷きます。「ファーム白石」の白石さんと、シンガーソングライターの熊木杏里さんのお話には、デジタルを超えた「手触りのある温もり」が溢れていました。
◆熊木杏里さんの福島の空に捧げる歌声
イベントでは「ファーム白石」の野菜をその場で試食させていただく一幕もありました。ユージがいただいたのは、見た目も可愛らしい細身のニンジン。一口かじると、しっかりとした歯ごたえとともに、ニンジン本来の豊かな香りが鼻をかけ抜けます。そして何より驚いたのが、噛み締めるほどに溢れ出す力強い甘み。「噛んだあとの甘さが今でも忘れられないです」と、家に持ち帰った野菜を子供たちと一緒にいただいたことを明かします。
そして、もう一人のゲスト、熊木杏里さんの言葉も非常に印象的でした。長野県千曲市出身の熊木さんは、令和元年の豪雨で被災した故郷への想いを、福島の風景や歌に重ねて静かに語ってくれました。
熊木さんのご主人が福島県出身という縁もあり、彼女にとって福島はもう一つの大切な居場所。ご自身の経験があるからこそ、その言葉には深い説得力が宿っていました。「客席の皆さんが“うん、うん”と深く頷きながら聞き入っていた光景が印象的でした」とユージは振り返ります。
トークセッションの後半、熊木さんによるミニライブが始まりました。熊木さんが披露してくれたのは、震災当時に作られた「ホームグラウンド〜ふるさとへ〜」。福島の空に捧げるような歌声、家族への想い。熊木さんが紡ぎ出すメロディと言葉は、会場全体を優しく包み込み、そこには特別な時間が流れていました。
◆大切なのは関心を持ち続けること
番組を振り返り、ユージは福島の15年の歩みについて言及します。「仕事で何度も福島を訪れている私にとって、今の福島は“ご飯が美味しくて、見て回るのが楽しい、活気ある街”」といいます。しかし「普通に楽しい」景色の裏側には「今日に至るまでの福島の方々の並々ならぬ努力があることを忘れてはなりません」と断言します。
福島は力強く前に進んでいますが、まだまだ課題も多く残されているのが現状です。復興への道のりは今も続いています。大切なのは、私たちが復興に思いを寄せて関心を持ち続けること。「時間があれば、実際に足を運んで、福島の“今”を肌で感じてみてください。美味しいもの、楽しい場所、いろんな楽しみ方があります」と福島への思いを明かします。
もし現地に行くのが難しくても、今の時代、お取り寄せなどで特産品を楽しむこともできます。そうした小さなアクションの一つひとつが、福島とつながる大切な一歩になるはずです。
<番組概要>
番組名:Hand in Hand-東日本大震災から15年・福島からのメッセージ
パーソナリティ:ユージ
放送日時:2026年2月8日(日) 19:00~19:55
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/hand/