小説家・小川哲(おがわ・さとし)がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの新ラジオ番組「Street Fiction by SATOSHI OGAWA」(毎週日曜5:30~5:55)。「地図と拳」で直木賞を受賞した小川が、リベラルアーツをコンセプトにゲストとの対談、本の音声レビュー、シンポジウムやイベント等のレポートなど、さまざまな気付きを番組を通じてお届けします。
4月16日(日)、23日(日)放送ゲストは、書評家の長瀬海(ながせ・かい)さん。この記事では、23日(日)の模様を紹介します。4月13日(木)に発売された村上春樹さんの新作「街とその不確かな壁」(新潮社)の感想を、小川と長瀬さんが語り合いました。
(左から)長瀬海さん、パーソナリティの小川哲
◆「街とその不確かな壁」を「収穫」と評価した理由
小川:「街とその不確かな壁」のあらすじについて、お話しいただけますか?
長瀬:この作品は三部構成になっているのですが、そのなかでも第一部は2つの語りが交互に入れ替わりながら進みます。2つというのは、現実の世界と想像上の街の世界です。現実パートでは17歳の「ぼく」が1つ年下の女の子と出会い、恋愛関係を激しく優しく育む情景が叙情的に描かれます。
だけど、ぼくが「きみ」と呼ぶ恋人は、心が壊れてしまい、ぼくの元から姿を消す。ぼくは大学生になり、社会人になり、きみという大切な存在の不在を抱えながら世界と折り合いをつけていきながら生きていくことになります。
もう1つの想像上の街のパートですが、街は現実の世界できみとぼくが作った架空の空間なんですね。辺りを壁に囲われ、単角獣たちが静かに暮らすこの街では、人間と影が切り離されて生きている。その街の図書館で働くきみは、現実世界の記憶をすべて失っている。突然この街にやってきたぼくは「預言者」の役を任じられ、古い夢を読み込む「夢読み」の仕事に従事する。そんな日々が語られているのが第一部です。
第一部が終わると、ふたたびぼくの現実世界の話に戻ります。衝動的に会社を辞めたぼくはある夢を見て、図書館で働くことを思いつく。福島に移住し、とある山奥にある街の図書館で職を得たぼくは、そこで不思議な人々と出会います。街の有力者で男性なのにいつもスカートを穿いている、元図書館長の老人。図書館中の本を片っ端から読み、内容をすべて記憶していくサヴァン症候群の少年。不思議な図書館と人々との出会いが、やがて現実と想像の世界の垣根を溶かし、この世界自体の輪郭を変容させていく。というのが、この小説のおおまかなあらすじです。
小川:あらすじを聞いても想像がつきづらいと思うので、実際に読んでもらうのが一番早いとは思うんですけど、長瀬さんはすごく面白いお話だったっておっしゃっていましたよね。実際、読んでみてどうでしたか?
長瀬:2000年代に入って、この20年ぐらいの村上春樹作品のなかで一番面白いと思います。
小川:僕は何年も前から、村上春樹作品って面白い・面白くないを超越しているんですよね。僕が判断する立場にないというか、そんなことを言うのも変なんですけど(笑)。村上春樹という作家と僕自身が、ある特殊な関係性を結んでいるので、その関係性のなかでしか語れないという、妙にこじれた感想になっています。
長瀬:でも、この作品を読んだあとは興奮したんですよね?
小川:そうですね。まずね、全部出てくるんですよ。村上春樹作品を長年追いかけてきた人が与えられてきたモチーフやテーマ、あるいは人と人との関係性だったりが全部出てきます。これを「集大成」と呼ぶのか、それとも「再生産」と呼ぶのかは僕にも判断がつかないところがあります。僕の新潮の書評では、これを「収穫」という言い方にしたんですね。
「街とその不確かな壁」というのは、1980年の「文學界」で書いて、それを作品集に加えない“幻の作品”として封印していたわけですよ。そして、それを2回長編(1回目は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」)にしていると。同じ作品を2回も書き直すって、普通のことではないと思うんです。なぜそうしたかというと、「街とその不確かな壁」という作品自体が、そもそもで村上春樹作品のすべてのテーマとかモチーフを含んじゃっているわけですよね。
村上春樹さんが3つ目に書いた小説なんだけど、その後の40年間でいろんなテーマを引っ張ってきて書いてきたんじゃないかってぐらい、すごく濃度の高い作品なんです。なので、40年前に植えた種を今回の作品で収穫したんじゃないかという書評を書きました。
◆コロナ禍で生み出された表現があった
小川:具体的に「街とその不確かな壁」のどんなところがよかったんですか?
長瀬:いくつかの主題が複層的に絡まり合っている作品だと思います。そのうちの1つに、「現実離れした現実のリアリティをどう描くか」があると思うんです。それをマジックリアリズムという、奇想幻想を使ってリアルを描く文学の技法を、前景化させて使っている。
前景化というのは、この作品のなかで自己言及的に「マジックリアリズムとは何なのか」ということを説明しながら、物語を作っている。そのことによって、現実離れした現実とは何かということを、村上春樹が深く問うている物語になっているんですね。
これまでの村上春樹がやろうとしてきたことと非常にリンクしたものとして、僕には届いてきました。なので、とても面白かった。
小川:この作品のなかで、ガルシア=マルケスの「コレラの時代の愛」という作品が直接引用されているんですよね。「コレラの時代の愛」は1人の男が何十年間もある女性を愛し続ける作品なんですけど、コレラという疫病、感染症の話なので、コロナ禍があったときにパンデミック小説として読み返すことができる作品なんですね。
「コレラの時代の愛」におけるコレラというのは、熱のメタファーなんですよ。つまり、愛し合うふたりの熱情みたいなものとコレラという病の高熱を重ね合わせているところがある。今回の春樹さんの「街とその不確かな壁」というのは、壁というのを明らかにコロナ禍の隔離状況と重ね合わせているところがあるんですよね。
長瀬:そうですね。
小川:春樹さん自身があとがきでも少し述べていると思うんですけど、コロナ禍というものがあったからこそ、この作品の「完全に隔離された街」の1つの描き方が生まれたのかなとは思いますね。
長瀬:「コレラの時代の愛」は、ある1人の男性がある女性を51年間思い続ける物語ですよね。男性の数奇な人生のなかに奇想幻想に富んだものが散りばめられているわけなんですけども、一番現実離れしたものは51年間1人の女性を思い続ける愛情なわけですよね。この愛情が一番現実離れしたもので、それをさっき言ったマジックリアズムを使って描いたのが「コレラの時代の愛」だったわけです。
そういう意味で言うと、「街とその不確かな壁」は、やっぱり「待つ」ということが1つのテーマになっていますよね。自分の恋心というか、愛情をずっと持ち続けることは一体何なのか。現実離れした現実というのは、もちろんパンデミックだったり戦争といったものが私たちの世界にはあると思うんです。だけど、人生も現実離れしたものの連続だと思うんですよ。そういったものをどうやって小説のなかで描くかということを、村上春樹は今回の作品で挑戦していると思いますし、そこがとても面白かったですね。
<番組概要>
番組名:Street Fiction by SATOSHI OGAWA
放送日時:毎週日曜 5:30~5:55
パーソナリティ:小川哲
番組Webサイト:
https://audee.jp/program/show/300005062