スピリチュアリストの江原啓之がパーソナリティをつとめ、番組パートナーの奥迫協子とお送りするTOKYO FMのラジオ番組
「Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り」。
今回の放送では、リスナーから届いたさまざまな相談に、江原がアドバイスを送りました。
江原啓之
<リスナーからのメッセージ>
私はこれまで、自分の損得しか考えない人、裏切る人や優しさを利用する人に出会ってきたため、「人間って嫌だな」と、心底思います。私自身にもそういう面があるので、そういう人に出会うと反面教師にして、自分はそうならないようにしています。
そう心がけて過ごしていても、やはり大体は、そういう方ばかりに出くわします。「この人は私をうまく使いたくて近づいてきたな」と、すぐにわかりますが、わかっていながら手を貸してしまいます。反対に私が助けを必要とするときに、その人は助けてくれません。結局、みんな自分がかわいいだけなんだと思います。
江原さんは、人が表面に出さない部分も見えてしまうと思います。それで人間不信になったりしませんでしたか。「人間とはこういうものだ」と割り切っているのですか。
<江原からの回答>
少し深い話をすると、この世に生きている人は、大なり小なりみんなそうですよ。
この世に生まれるとは、物質の世界に入るということ。物質の世界に入れば、人間は1つの肉体のなかに入るでしょう。そうすると、例えば、気持ちの上で食べ物を人と分け合って生きていきたいと思っても、人に分けたら自分のお腹は空くんですよ。これが現世です。
だから時々、「いや、自分だけが食べたい」と思う気持ちが出てきても、おかしくありません。それがこの世ですから。「人間とはこういうものだと割り切っているのですか」と聞かれていますが、ネガティブに捉えているわけではなく、人間とはそういうものです。
逆に言うと、相談者さんは悩み相談のように聞いているものの、周囲に期待しているんですよね。おたよりに書かれていることは、「こうしてほしい」というリクエストなんですよ。
私はよく、不幸の三原則に「自己憐憫」「責任転嫁」「依存心」があると挙げています。相談者さんは「自己憐憫」「責任転嫁」がありますよね。そうすると、そういった人が寄ってくるんです。そして「依存心」。本当は依存していますよね。
生きていればみんなそうなのですから、「そういうものだ」と思っていれば良いですし、見返りを求めて人に手を貸すのも気持ち悪くないですか? 「私が助けを必要とするときに、その人は助けてくれません」って、互助会みたいに助けるって変だと思いますよ。“自分に返してもらいたいから助ける”というのも、打算でしょう? 同じ穴のムジナだと思うんですよ。
私は何かをするときに、見返りを求めない。それで喜んでくれれば「あぁ、良かった~」と思うだけです。期待通りの反応がなかったら、「残念~」と思うだけですよ。もし、何かしてもらいたいことがあるときは「こうしてください」「助けてください」と言います。言葉にすればいいだけじゃないですか。自分で「助けてください」とも言わずに助けてほしがるのは、ちょっと甘えすぎじゃないですか?
こう言っては悪いですけれど、お互い様なんだと思います。そうじゃなく、自分は常に“与える”という愛の人でいれば良いじゃない。それでも助けてほしいときがある。そのときには「助けてください」と言えば良いの。「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉があるでしょう。その人が「ダメ」と言って助けてくれなくても、別の人が助けてくれるかもしれない。そのときに「本当にありがたいなぁ」と、感謝の気持ちが湧くわけじゃないですか。そういうことをよく考えて、 あまり深く自分を傷つけるようにしないで、明るい方向を見て生きていっていただけたら良いなと思います。
江原啓之、奥迫協子
●江原啓之 今夜の格言
「楽しむことが開運の秘訣です」
<番組概要>
番組名:Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り
放送日時:TOKYO FM/FM 大阪 毎週日曜 22:00~22:25、エフエム山陰 毎週土曜 12:30~12:55
出演者:江原啓之、奥迫協子