TOKYO FMの音声配信プラットフォームAuDee(オーディー)の番組「長野智子のテレビなラジオ」(隔週火曜・10時配信)。1985年のフジテレビ入社以降、テレビ業界で活躍してきたフリーアナウンサー・長野智子が、テレビを牽引してきた制作者・出演者をゲストに招き、テレビの過去・現在・未来を共に語ります。
7月25日(火)の配信では、元フジテレビアナウンサーの露木茂さんがゲストに登場。アナウンサー採用で重視したポイント、昔と今のアナウンサーの違いについて語ってもらいました。
▶▶【音声を聴く】「長野智子のテレビなラジオ」
(左から)露木茂さん、長野智子
1940年、東京都生まれの露木さん。1963年にフジテレビにアナウンサーとして入社。「小川宏ショー」(フジテレビ系)の司会をスタートに、フジテレビを代表する多くの番組を担当。よど号ハイジャック事件(1970年)、連合赤軍あさま山荘事件(1972年)、日本航空123便墜落事故(1985年)など、歴史的大事件を伝えました。2002年に役員定年を迎え、フリーアナウンサーとして現在も活躍中です。
◆“元上司”との対談に緊張気味?
長野:今日スタジオにお迎えしたのは、元フジテレビアナウンサーであり、私の元上司の露木茂さんです!
露木:よろしくお願いします。
長野:何年経っても変わらない“上司感”ですね(笑)。
露木:そうかな(笑)?
長野:めっちゃ緊張するんですよ(笑)。全然お変わりないですね。
露木:いえいえ。82.5歳ですよ。
長野:そうですか。お声がまったく変わらないです。
露木:僕自身、耳が少し遠くなりましたから、自分の声がよくわからなくなっているんですよ。周りの人からは「声は変わらない」って言われますけどね。
長野:私を採用してくださった先輩です。今日はいろいろお伺いしたいと思っています。露木さんはずっと私の上司でいらっしゃったんですけど、採用の話って聞いたことがなくって。当時はどんな感じだったんだろうと、あえてお聞きしたいです(笑)。
露木:ははは(笑)。長野智子っていう人が抜群に飛びぬけていて、(採用が)最初から決まっていたような感じじゃないですか?
長野:ホントですか!?
露木:うん。一次試験、二次試験ぐらいからね。明るくてきちんとしていて、機転も利いて文句がなかった。
長野:初めて聞きました。
露木:あの頃は女性は4人だったんだっけ?
長野:そうです。永六輔さんの娘さんの永麻理ちゃんと、松田朋恵ちゃんと小田多恵子。そして、(男性アナは)三宅正治君と軽部真一君(笑)。
露木:ね(笑)。
長野:三宅君と軽部君はめちゃくちゃ優秀だったんですよね。
◆長野智子を採用した理由
長野:私、たぶん入社して2、3ヵ月したときに、露木さんに「なんで私は入社できたのでしょうか?」と聞いたんですね。そうしたら「ほかのやつが優秀だけど、局に勢いがあったからついでに入れた」って言われたんですよ(笑)。
露木:そんなことを言ったかな(笑)。色がついているというか、アナウンサーの勉強ばっかりしていた人ではなかったよね。たしか、ラジオのアルバイトをやってたんだよね?
長野:そうです!「ミスDJリクエストパレード」(文化放送)ですね。
露木:だから喋るのはスムーズだったし、かといってアナウンサーっぽい“クセ”みたいなのはないし、そういう点では理想的だったんじゃないのかな(笑)。
長野:すごい! めっちゃ嬉しいです(笑)。
◆採用で印象に残った3名
長野:露木さんのなかで印象に残っている採用ってありますか?
露木:やっぱり2年下の“3人娘”かな。
長野:河野景子さん、八木亜希子さん、有賀さつきさん、ですね。彼女たちはズバ抜けていたんですか?
露木:当時は局に勢いがあったので、局の番組プロデューサーとかディレクターたちも採用試験に参加してくれたんですよ。「自分の番組でこういうのをやりたいので、こういう人がほしい」っていうリクエストがどんどん出てきて、それが多かったのであの3人なんですよね。
長野:へええ!
露木:でも、彼女たちがその後進んだ道とは全然違ったと思う(笑)。
長野:そうですかあ。
露木:局に勢いがあるときは、局全体が1つにまとまっているというか、言いたいことをみんなで言い合って形にしていくところがあった。最後に当時の副社長の鹿内春雄さんという方が採用を決めるわけです。
時効だと思うから言うんだけど、河野景子君は出身が九州じゃないですか。「河野という子は訛りがあるぞ。大丈夫か?」という、鹿内さんのご下問があったわけです。僕は「3ヵ月の養成期間内に必ずなおしますから」と言って安請け合いをしたんです(笑)。
そんなことがありましたね。地方出身で訛りがあったりアクセントがおかしかったりしても、アナウンサーになったらみんな職業意識を持っているわけだから、簡単になおりますよね。みんな努力するんだもん。
長野:確かにそうですね。
露木:アナウンサーの試験に受かるっていうことは、どこかで人一倍、何かを努力してきた人だと思うんです。そういう潜在能力がある人だから心配していませんでした。
◆女子アナ採用では、どこを重視した?
長野:80年代、90年代の女性アナウンサーの採用に関わられてきたと思うんですけども、「ここを見る」っていうポイントは、時代とともに変わってきたのでしょうか?
露木:僕自身は変わっていないと思うんですけど、はたから見ると変わってきているのかなあ?
長野:露木さんはどこを見て選んでいたのでしょうか?
露木:「テレビのアナウンサーなんだから“顔”でしょ」とみんなは言うんだけど、それについては「絶対に違う」と思うんだよね。テレビの画面のなかで話す仕事をするわけだけど、話の内容だったり話し方だったり、そういう“魅力”を見ているわけです。
顔立ちだけを見ているわけではないと、ずいぶん私は言ったんですけども、なかなかわかってもらえなかったみたい。
長野:顔立ちじゃないとすると、どこなんですかね?
露木:その人が映っているテレビの画面を観て、視聴者が和んだり、楽しんだり、嬉しくなったりしてくれることが一番大事じゃないですか。それって綺麗とは違うわけです。
◆時代とともに求められるアナウンサーが変化
長野:露木さんはテレビがメディアとして大きくなっていく過程から、ずっとアナウンサーという立場で関わっていらっしゃいますけども、アナウンサーはだいぶ変わったなと思われますか?
露木:どうなんでしょうね。アナウンサーって一括りにしちゃうけど、一人ひとり違うわけですから。でも、どういうタイプの人が受けるのかってのは、変わってきたかもしれませんね。
僕が個人的に影響を受けた先輩は、17年間一緒に番組をやった小川宏さんですけども、小川さんはNHKでもスターだったわけです。小川さんを通じて、当時NHKで現役だった大塚利兵衛さんとか、リタイアはされていたけど藤倉修一さんといった方たちからいろんな話を聞いて影響を受けたんですね。
5月にたまたまNHKに出て、安住紳一郎君とかミトちゃん(水卜麻美)とかフジテレビの後輩の伊藤利尋君とかとお話をしたんです。話してみると、昔と今ではやっぱりタイプが違うなってのはわかりますよね。
長野:へええ!
露木:今は親しみやすい、アットホームな性格の人。スタジオの切り盛りをするのも自然体でやっていけるような人たちが主流なんだなって改めて感じましたね。
長野:そうですねえ。
露木:時代によって変わってくるんだろうと思う。NHKはラジオがあって、第一放送・第二放送があって、総合テレビと教育テレビがあるからタイプは違いますけど、昔の民放はテレビ一本だったわけです。
今は地上波、BS、CS、配信番組があるし、ニュースの時間帯も朝、昼、夕、夜があって、いろんな表現の場があるわけ。誰が一番どこに向いているかは(番組を)作る側の人が決めていくんでしょうけども、それはなかなか難しい。当たる場合もあれば外れる場合もある。
昔はメインのニュースが局で1つと決まっていて、そうするとみんなはその場を目指して頑張ってきているわけです。そこにたどり着いた人が“勝者”ですよね。そうすると責任感があるだろうし、プライドもある。
長野:昔のアナウンサーって、視聴者からすると親しみやすいんですけど“威厳”がありましたよね。
露木:ええ。今は威厳ってあまり求められなくなっちゃったじゃないですか(笑)。テレビが視聴者にとって身近な存在になってきたってこともあると思います。今ってメディアがこれだけたくさんあると、「局を代表するアナウンサーって誰?」って言われてもすぐに答えられないじゃない。
長野:そうですねえ。
露木:達者な才能を持った人が、その局の看板番組の司会をしてスターになっていくっていう流れが昔はありましたけどね。
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<番組情報>
番組名:長野智子のテレビなラジオ
配信日時:隔週火曜・10時配信
パーソナリティ:長野智子