山崎怜奈(れなち)がパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組
「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。(ダレハナ)」
(毎週月曜~木曜13:00~14:55)。今回の放送は、絶景プロデューサーの詩歩(しほ)さんが登場! ここでは、“絶景プロデューサー”になった経緯などについて伺いました。
(左から)パーソナリティの山崎怜奈、詩歩さん
◆絶景プロデューサーになったきっかけは新人研修!?
れなち:“絶景プロデューサー”っていう肩書きをお持ちの方ってあまりいらっしゃらないじゃないですか?
詩歩:そうですね。たぶん世界で1人だけかなと(苦笑)。
れなち:名乗るようになったきっかけはあったのですか?
詩歩:名乗り始めて10年くらいになるんですけど、もともと私は旅の仕事をしていたわけではなく、大学卒業後は広告代理店に入社したんです。そこでの新人研修の課題がきっかけで、この活動が始まっています(笑)。
れなち:それはどういう課題だったのですか?
詩歩:入社したのが2012年で、ちょうどFacebookが日本に広まり始めた年だったんですね。それで、代理店としてそれを使いこなせないといけない、ということで、Facebookページを立ち上げて「2ヵ月間の“いいね”数を競い合いなさい」っていう課題が出されまして。
そこで私が考えたのが「死ぬまでに行きたい!世界の絶景」というタイトルのページで、知られざる世界中の美しい光景を更新していったんです。そうしたら、1年間で45万フォロワーくらいまで伸びまして!
れなち:すごい!
詩歩:それがきっかけで独立して、今に至っています。
れなち:昔から絶景や旅に詳しかったのですか?
詩歩:いえ、初めて海外に行ったのも19歳なので、むしろ遅いほうかもしれないです。しかも、当時の私は絶景よりも歴史に興味があって、エジプトのピラミッドやペルーのマチュピチュなど、遺跡を中心に巡っていました。
れなち:“死ぬまでに行きたい!”っていう打ち出し方もすごいですよね。
詩歩:結構強い言葉なので、最初は“これはちょっと……”って周りから言われることも多かったり、本のタイトルにするときも「“一生に一度は行きたい”に変えませんか?」っていう提案もあったりしました。ただ私は“死ぬまでに”というところにメッセージを込めていて。
というのも、大学の卒業旅行で行ったオーストラリアで交通事故に遭って、ドクターヘリで運ばれたんですよ。そのときに“いつ人生が終わるかわからないな”って強く感じたんです。
皆さんも“いつか行きたい場所”ってあると思うんですけど、そういうのは1つずつ叶えていかないと(行けなくなるよ)っていうメッセージを込めたくて、このタイトルを今も貫いています。
<番組概要>
番組名:山崎怜奈の誰かに話したかったこと。
放送日時:毎週月~木曜 13:00~14:55
パーソナリティ:山崎怜奈