アーティストの「こっちのけんと」がパーソナリティをつとめるTOKYO FM のラジオ番組「G-SHOCK presents THE MOMENT」(毎週金曜17:00~17:25)。さまざまなゲストをお迎えし、生まれてからこれまでの時間のなかで、人の心に刻まれている「人生が変わった瞬間」=“MOMENT(モーメント)”を探ります。
4月25日(金)と5月2日(金)の放送では、シンガーソングライターのaikoさんがゲストに登場。この記事では、25日の放送の模様をお届けします。初めての一人暮らしの思い出や、大ヒット曲「花火」の制作エピソードを語ってくれました。
aikoさん、こっちのけんと
1975年生まれ、大阪府出身のシンガーソングライターのaikoさん。1998年、シングル「あした」でメジャーデビュー。以降、「花火」「カブトムシ」「桜の時」「ボーイフレンド」など数々のヒットを記録。2000年に「NHK紅白歌合戦」に初出場。等身大の歌詞と親しみやすいメロディラインから、男女ともに高い人気を誇ります。2025年4月30日には、46th Single「シネマ/カプセル」をリリースしました。
シネマ
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カプセル
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◆こっちのけんとからもらったエコバッグを愛用
こっちのけんと:すごい、aikoさんが来てくださっている! 実は、勝手に親近感が湧いております。
aiko:私も!
こっちのけんと:本当ですか! はじめましてのときって、「ベストヒット歌謡祭」(日本テレビ系)ですよね。
aiko:そうですね。大阪城ホールでお会いしました。
こっちのけんと:うちのスタッフのなかにもaikoさんの大ファンがいて、「会えるかな」って言いながら当日向かったら、aikoさんとすれ違って。
aiko:そう! 本当に印象的やったんが、「これよかったら……」と、こっちのけんとさんのエコバッグをくださって!
こっちのけんと:そうです!
aiko:「こんなんポケットにいつも入れてる人おる!?」って思って(笑)。
こっちのけんと:たしかに(笑)。
aiko:私は(ポケットに入れるとしたら)だいたい飴(アメ)ちゃんぐらいなんですけど、「エコバッグをくれた!」って思って。このあいだまでツアーをやっていたんですけど、ずっとけんとさんのエコバッグを使ってコンビニで買い物してました。
こっちのけんと:マジですか!?
aiko:私も何か渡したいなって思ったけど、喉飴しかなくて。あと、シールを持っていたから、それを持っていって写真も一緒に撮っていただいたんですよね。
こっちのけんと:そうですね。
aiko:その写真、(2人の)顔がめっちゃ似てんねん!
こっちのけんと:めっちゃ似てましたよね! 僕もSNSに上げているときに気付きました(笑)。
aiko:それでまた嬉しい気持ちになりました。
こっちのけんと:こちらこそです! いないはずなんですけど、“お姉ちゃん”みたいな感覚になりました(笑)。
aiko:ええの(笑)? 嬉しい!
こっちのけんと:そのあとに、たしか(2024年の)「紅白」でまたお会いしたんですよね。
aiko:そうですね。
こっちのけんと:本当に幸せ者です。
aiko:こちらこそありがとうございます!
◆はじめての“ひとり人暮らし”をした当時を回顧
こっちのけんと:この番組では、ゲストの方の人生が変わった瞬間、モーメントを伺います。aikoさんの1つ目のモーメントは?
aiko:「1993年 一人暮らしを始めました」!
こっちのけんと:それまではご実家で?
aiko:家庭環境がちょっと複雑でして、一時期、親戚の家で暮らしていたときがあったんです。
こっちのけんと:そうなんですね。
aiko:ある日、お母さんが家出して。そこから親戚と暮らすようになりました。それが、たしか中学1年生ぐらいのときから。
こっちのけんと:多感な時期ですね。
aiko:そこから高校3年生ぐらいまでだった気がします。それで、高校卒業するぐらいのときに、一人暮らしをしようと思いました。
こっちのけんと:すごいですね!
aiko:みんなにすごく反対されましたけどね。
こっちのけんと:18歳で一人暮らしって、緊張感はありますよね。
aiko:でも、どうしても音楽もやりたかったし、自分で頑張っていきたいと思って。
こっちのけんと:そのときから音楽の道を目指していたんですか?
aiko:もう、3歳ぐらいから(歌手に)「なりたい!」と思っていました。
こっちのけんと:早い!
aiko:特にきっかけがあったわけじゃないんですけど、ずっと獣医さんと歌手にはなりたいと思っていたのですが、獣医の道はお父さんに反対されたんです。「動物はここが痛いとか言えないから、すごく難しい。お前にできるわけがないやろ」って言われました。そっか~って思って(笑)。
こっちのけんと:関西弁、いいですね(笑)。
aiko:うちのお父さん、鳥を100羽くらい飼っている人だったんです(笑)。起きたらヒナに餌あげて、(縁日の屋台の)“カメすくい”で持ち帰ったカメもすごい大きく育てたりしていて。
こっちのけんと:すごい!
aiko:そんなお父さんに言われたから、仕方ないなって気持ちになりました。
こっちのけんと:なるほど。それで歌手に絞ったわけですね。
◆名曲「花火」制作秘話
こっちのけんと:続きまして、aikoさんの人生2つ目のモーメントは?
aiko:「1998年夏 毎年行っていた花火大会に行けなかったことから『花火』という曲ができた」です!
こっちのけんと:毎年行ってた花火大会があったんですね!
aiko:そうです。淀川の花火大会でした。
こっちのけんと:僕も毎年行っていた時代がありました!
aiko:すごく有名な大阪の花火大会で、そこに毎年行っていたんですけど、この年に私はデビューしたんです。
こっちのけんと:そうなんですか!?
aiko:1998年7月にデビューしました。デビュー後はご挨拶でラジオ局に行ったりして忙しくなり、花火大会に行けなかったんです。
こっちのけんと:そうだったんですね。
aiko:その日の夜、「行きたかったなあ」って思いながら、寝ようとしたんですけど、カーテンの隙間から空を見上げたんです。そうしたら「眠りにつくかつかないか シーツの中の瞬間はいつも」と、歌詞と曲が頭に思い浮かんだんです。
こっちのけんと:ちょっと今、感動しすぎて泣いているんですけど……(笑)。鳥肌と涙が止まらない、ごめんなさい(笑)。
aiko:あはは(笑)!
こっちのけんと:こんな泣くことあるんだ……自分でもびっくりしました(笑)。そんな瞬間に出てきたんですね! そこからすぐに起き上がって?
aiko:はい。うわーって(曲を)書きました。当時は曲と歌詞が一緒に出てくることが多くて、ピアノで全部作りました。
こっちのけんと:すごい! 一夜でできたんですね。
aiko:真っ暗な部屋のなかで作りました。デビューの年に作ったんですけど、スタッフの人たちとか事務所の人たちに「“夏の曲”ができたので、いつか夏が来たらこの曲を出したいんです」と言って、「花火」を聴いてもらいました。それで、翌年の夏にリリースしました。
こっちのけんと:じゃあ、その日に花火に行けなかったことで、大きく人生が変わったんですね。
aiko:そうなんです。「ありがとう!」って思いました。
こっちのけんと:挨拶回りに行っていたおかげで(笑)。
aiko:ほんまに!
こっちのけんと:いいおこないをするって大事ですよね。巡り巡って自分に返ってきますよね。
aiko:本当によかったです。しかも、この曲で「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)に出ることも決まったんですよ。3枚目のシングルだったんですけど、それまでは全国テレビに出ることができてなかったんです。
こっちのけんと:そうなんですね。
aiko:レコード会社の方たちにも、「アーティストは3枚目が勝負だからね」って言われていました。
こっちのけんと:聞いたことある~! うちも父ちゃんに言われました。僕は2曲目の「死ぬな!」っていう楽曲で世に出させてもらったんですけど、それを作っているときにめっちゃ言われました。
aiko:そっかあ。
こっちのけんと:3曲目が出たあとの4、5曲目でバラードを書けよ、みたいなのも言われました(笑)。
aiko:4曲目、aiko「カブトムシ」や!
こっちのけんと:ホントですか!? うちの父ちゃん、合っているのかもしれない(笑)。
<番組概要>
番組名:G-SHOCK presents THE MOMENT
放送日時:毎週金曜 17:00~17:25
パーソナリティ:こっちのけんと